鹿嶋に来る以前、菊池さんは、埼玉でプリンターのリボンを作る会社を経営していました。 消耗品ということから作っても作っても間に合わず、休日なしで働くなど、朝から晩まで働きづめだったそうです。 家庭を顧みる余裕は全くありませんでした。
ご主人は振り返ります。
「二人の子供は、女房が育てたようなものだった」と。
夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。 お子さんの手が離れた頃からは、奥様も手芸教室の講師をし、日々忙しく暮らしていました。 しかしある日、奥様がくも膜下出血で失語症となりました。歩く事にも不自由する状態の中、周囲の人々が力を貸してくれたのです。
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